Profile
講師プロフィール

亀嶋有紗(かめしま ありさ)
1989年生まれ。岐阜県出身。
愛知県東海市在住。
夫と猫2匹・チワワ1匹と一緒に
賑やかに暮らしています^^
自宅にてフルート教室LAPIN.(ラパン)を主宰し
もうすぐ開講4年になります。
ここからは私がフルートと出会ってから、
失敗、挫折を乗り越えて
教室を開くまでのストーリーです。
ご興味のある方はお読みください。
【一瞬で心惹かれた…あこがれの楽器】
幼稚園生のときからバイオリンを習っていたわたし。
ピアノが堪能だった母の影響もあり、
音楽は好きでしたが…
バイオリンを弾く自分に
いまいちしっくりきていませんでした。
(要は、楽しくなかった。笑)
フルートとの出会いは、
中学校の部活紹介でした。
運動音痴だから、文化部かな。
でもバドミントン部も、楽しそう♪
そんなことを考えながら見ていると、
吹奏楽部の演奏が始まりました。
…その瞬間、銀色のキラキラした横笛が
わたしの目を一瞬で釘付けにしたのです。
「わたしがやりたいのはこれだ!
絶対、フルートをやりたい!」
そう心に決めたことを、今でも鮮明に覚えています。
晴れてフルートを手にし、
もっともっと、ただただ上手になりたくて
練習に明け暮れる毎日。
高校でももちろん吹奏楽を続け、
部長も任されました。
フルートが好きすぎて、
吹くことが楽しすぎて、
この道を極めたい。
もっと上を目指したい。
音楽の道へ進むことは、
自然な流れだったように思います。
志望校の音大にも無事に合格。
順風満帆かと思いきや、
ここで初めての挫折を味わいます。

【音大生、レベル高すぎ】
普通科の高校から音大へ進学したので
初めて、幼少から音楽の専門教育を受けている人や
人生をかけて楽器と向き合っている人たちのなかへ
入っていくことになりました。
大学に入ると周りのフルーティストは
自分の想像をはるかに超えたレベルの高さで
本当にびっくりしたというか
やばいところに来てしまったと
驚きを通り越して
恐怖を感じたのを覚えています。(苦笑)
みんなすごく上手でした。
めちゃくちゃ早いタンギングとか
小さい音を綺麗に出すこととか
みんなが簡単そうにやっていることが
私は全っ然できなくて
どうしようもない差みたいなものを感じて
本当に落ち込みました。
中学校でフルートを始めて以来、
部内ではいつでもトップの実力。
ソロパートやリーダーも任されてきた
そんなわたしにとって
はじめて味わう衝撃と挫折でした。
もともと基礎のレッスンも
全くと言っていいくらい受けたことがなく
いきなり音大に入ったわけなので
今考えてみれば当然といえば当然なのですが。
だからといって
落ち込んでばかりいるわけにもいかず
自分が下手くそなのはよく分かったので
これから努力と根性でなんとかするしかない!と
音楽家芸術家というより、
もはやアスリートのような精神と姿勢で
練習しまくっていました。
フルートが楽しかったから練習していたのに
練習しないと置いていかれるから、
落ちこぼれてしまうから練習するというふうに
変わっていきました。
自分のなかでは
音大生なんだから。これは学問なんだから。
楽しいだけではやっていけないということは当然だと
特に疑問も感じず
それがだんだんと普通の感覚になっていきました。
【卒業しても落ちこぼれ】
大学卒業後、持ち前の努力と根性で進学し
大学院での2年間の学びを終えて
フリーのフルート奏者として活動を始めました。
…というのは表向きの話で、
実際にはほとんどカフェのアルバイトに明け暮れていました。
音楽の仕事といえば、
雇われの音楽教室講師と、
不定期な中学高校の吹奏楽部レッスン、
演奏の依頼がちょこちょこ。
「仕事」と呼べるほどのものなのだろうか?
と、疑問に思うことも多々あり…
夢見ていた音楽家としての活動には
とても、程遠い生活でした。
自分は大学院まで出ているのに
なんでバイトばかりしているんだろう。
大卒で既に働いている同級生たちは、
仕事にも慣れ、安定した収入を得て
みんな楽しそうです。
それに比べて、学歴とプライドだけ高くて
実績が伴っていない自分。
なんで音楽を選んじゃったんだろう。
音楽さえやっていなければこんな苦労しなかったのに。
同年代の人たちと比較して勝手に落ち込み、
理想と現実のギャップに苦しんでいました。
フルートにしがみついている自分は
コンプレックスの塊でした。
「なんとか結果を出したい…!」
そんな思いがさらに自分を追い詰めていきます。

【フルートが大嫌いに…】
バイトを詰め込み、
どんなに遠くの現場でもレッスンに飛び回る日々。
どんなに急な演奏の依頼でも絶対に断らない。
そんな毎日だったので
無限に時間があった学生のころとは違い、
自分の思うように練習時間が取れなくなりました。
これまで様々なことを練習時間の多さで
カバーしてきていたので
それができなくなるとやはり実力は衰えていきます。
大切な本番で
思わぬ失敗をするようになりました。
練習ができないということ自体が
ストレスに感じるようになりました。
長年アスリートの精神で練習していると
「練習していない」ということの罪悪感が
気持ちのなかで邪魔をしてくるんですよね。
自分の経験値を心から信じることが出来なくて、
すき間さえあれば、練習していました。
上手くなるためというより
不安な気持ちから解放されたくて
笛を手にしていました。
そうすると休みがなくなります。
フルートはわたしにとっては仕事です
仕事でどこかに出かけても
家に帰ってから練習。
仕事が終わっても
また仕事が待っているというかんじで
気持ち的に休める時がありませんでした。
しかも練習をどれだけしても
誰かがお金をくれるわけでもありません。
勝手にブラック企業ってかんじです。
そんななか、
あるオーディションに挑戦することにしました。
フルートの先生にはこのころから
もっと練習時間を減らすように考えた方がいい
と言われていたのですが
すごく合格したかったので、
言うことを聞けずに
まためちゃくちゃ練習しまくってしまいました。
課題の曲が難しすぎて
全然うまくいかなかったのです。
でもわたしは努力と根性
そして練習量でカバーするしか
方法を知らなかった。
だからひたすら練習していたんですが
ここでもう一つの弊害が。
練習しすぎていると
ゴールがよくわからなくなるんです。
どこまでやれば完成なのか
追い求めすぎて納得できるところがどこか
わからなくなってしまいました。
そんなこんなで本番の日は近づいてきます。
でも自分のなかで納得いく仕上がりになってない
と思い込んでいたので、
練習量は多いのに
不安だけが大きく大きくなっていって
本番直前でもう精神的に疲れ切っていました。
もはや音楽を楽しむとかそういう次元ではないし、
「早く終わって解放されたい。」
という気持ちになってきます。
そうするともう
演奏なんてどうでもよくなるんです。
そうやって練習のしすぎで
本番に良い状態のピークを
持っていくことができませんでした。
プロなのに、本当に恥ずかしい話です。
結果は当然不合格。
その瞬間気持ちが全部折れました。
今までの経験や知識
多くの時間
全てを使って挑んだ機会
でも一瞬で、「不合格」という結果によって
全否定されるんです。
私はフルートが大嫌いになりました。
あんなに好きだったフルートを
嫌いになるなんて。
こんなもののために大切な10代20代の
たくさんの時間費やしてきた
わたしの人生一体何やったんやろ?と
すごく悲しくて。
それからは仕事で必要な時以外
フルートを吹くことはなくなりました。
練習をやめたんです。
多少音が荒れたり指まわりがわるくなっても
特に気にすることはなくなりました。
もうどうでもよかったから。

【挫折が人生の転機に】
しばらくまたバイト三昧、ときどきフルートの日々を過ごしました。
そしてあるとき、決断します。
「社会人として自立するために、就職しよう」
フルートを仕事にするのは、もうやめよう。
そう思いました。
たしかにフルートを続けてきたおかげで、
いろいろと苦しみました。
親にも迷惑かけてきました。
でも…
フルートはやっぱり
わたしにとって、かけがえのないものでした。
それは練習をやめても変わりませんでした。
フルートを吹いていない自分は考えられなかった。
だから、これからもフルートを続けていくために、
就職しよう。
そう思ったのです。
このことが、私の人生最大の転機になりました。
【会社に入って人間らしさを取り戻した】
意外にもあっさりと地元の設計会社に就職が決まり、
電気工事の図面を描く仕事をすることになりました。
もちろん電気の知識なんて、ありません。
音楽じゃないなら、もう仕事は何でもいい。
そんな投げやりな気持ちで選んだ就職先でしたが、
これが予想以上に楽しかった。笑
大学生の延長のような今までの生活とは打って変わって、
毎日パソコンの前に8時間座り
誰もが聞いた事があるような大企業向けに図面を描くことが
わたしの仕事になりました。
自分が描いた図面を持って、
作業着を着てヘルメットをかぶって
工事現場に出張したこともあります。
いままでの人生から考えたら、
こんな自分の姿は全く想像していませんでした。
「こんなお仕事あったんだ。」
目にする世界が全部新しく、
今までよりグンと視野が広がった
そんな感覚がありました。
それに、毎日会社に行って過ごしていると、
フルタイムで働く人が、1週間どんな気持ちで過ごしているか…
月曜日がどんなにしんどいか。
金曜日がどんなにうれしいか。
お給料やボーナスがどれだけ楽しみか。(笑)
普通のことかもしれないけれど、
今までのわたしには分かるわけがなかった。
どれだけ自分が世間の感覚とズレた
自称音楽家生活を送っていたかと思うと
恥ずかしく感じて…
そうやってたくさんのことを学び、感じ、経験しました。
毎日新鮮で、本当に楽しかったです。
一方、肝心のフルートの方はというと。
「わたしが会社で働くのは、フルートを続けるため」
という強い思いがあったので、
帰宅後に、毎日1~2時間の練習をしていました。
自分としてはかなり練習量が減った感覚です。
というより、物理的にこの練習時間を確保するのが限界でした。
会社では、「仕事に影響がなければ、音楽活動は自由にしていいし、応援するよ」と言っていただいていたので(←ありがたい…!)
就職後、はじめてソロでコンサートに出演するのですが
ここでまた大失敗をしてしまうのです。


【本気で辞めようかと思った】
就職してからも毎日欠かさず練習していたにも関わらず、
手・足・口が激しくふるえ
ブレスがうまくできない。
汗がとまらない。
高音がまったく出ない…
「どうしたの?!」というくらい
まわりにも心配されるくらい
どうしようもないくらい崩れてしまい、
演奏会は散々。大失敗に終わりました。
自分でも「どうして…」という思いでいっぱいだったし、
だけど自分の身に起こっていることに対して、全く制御ができませんでした。
でも後から考えてみると
原因は2つあって、
まず精神的なものが大きかったと思います。
就職したことは、周りの音楽仲間には隠していました。
自分なりに覚悟して就職という道を選び、
毎日こんなに楽しく充実している。でも…
フルートを本職にせず、演奏活動をしているということを、
自分自身が、やっぱり心から受け入れることができていなかったんですね。
そして、物理的に練習時間がとれないなかで
クオリティを維持していかなければならない。
そんなうしろめたさとプレッシャーから
勝手に自滅してしまいました。
もう1つは、疲労です。
毎日の通勤と、8時間の仕事。
帰ってから2時間の練習で、
単純に疲労が溜まっていたのです。
そのケアをせず、今までの調子で本番に臨んでしまったんですよね。
お客さんの心配そうな表情や
緊張感に包まれた会場の空気は、
今でもハッキリと覚えています。
自分自身の不甲斐ない演奏のせいで、
わたしの心は深く傷付きました。
さすがにこの時は、もうフルートを辞めようかと
本気で考えました。
自分なりに覚悟して下した決断。
でも実際は全然心が追い付いていなくて。
そんな状態で演奏まで中途半端で。
とにかく情けなくて、涙が溢れました。
これからどう生きていこうか。
そんなことを考えるくらい、
わたしにとっての大事件でした。
【やっぱり、吹きたい。】
それから、またフルートと距離を置くことにしました。
フルートを吹かない自分に、
会社員としての規則正しい生活は
非常に都合がよかったです。
今まで練習ばかりしていた時間を使って
いろいろな経験をしました。
会社での仕事も順調。
休みの日にはいろんなところに出かけたり
友達と遊んだり
趣味を見つけて、新しい友人もできました。
毎日すごく楽しい。
やっと普通の人間らしい人生が送れている気がして
毎日に充実感を感じられるようになりました。
そうすると、嫌になったフルートも
たまに聴いてみたくなったりして…
あるとき聴いたフルートの演奏が
ものすごく感動的で
「フルートってすごくいいじゃん」
と再発見?再確認?してしまいました。
なんとも形容しがたいのですが
すごく心に染みたというか、
音楽ってすごい
わたしもこんなふうに吹きたい!
と思ってしまったんです。
漫画みたいな展開(笑)
でも、もう練習一色の毎日はイヤ。
自由な時間がほしいし
なるべく練習しないで上手くなりたい(笑)
ほんと図々しいですよね😂
再び先生の門を叩きました。
相談して練習の仕方を教えてもらいました。
昔と違って基本的に練習したくない
という気持ちがあるので
欲を出さずに先生に言われたことだけを
練習することにしました。
そのころは60分くらいの練習を
週に4〜5回くらい。
自分としてはだいぶ時間を減らした感覚です。
それでも練習時間が長いと言われたので
内容は減らさずに時間だけ短縮しました。
1つの練習にかける時間を本当に短くしたんです。
練習時間は30分くらいになりました。
面倒くさい日とか
疲れている日もあったので
週2〜3回くらい練習!これで十分!
続けてるだけすごい!と
変な納得感だけはありました(笑)
練習に対するハードルが
ものすごく下がっていたんですね。
それで再びレッスンを受けにいくと。
すごく良くなっている。
練習の仕方が良いんだね。と言われたんです。
耳だけは衰えていなかったので
たしかに自分でも
演奏が良くなっている感があって。
楽して楽器を鳴らせている感覚があったし
なにより毎日フルートを
触っているわけではないのに
調子が悪くならない。
これが本当に驚きでした。
30分くらいの練習ならあまり負担に感じないし
練習の仕方が変わったことで視点も変わって
練習するたびに自分にどんな変化があるか
見つけるのも面白くて
だんだんと練習が楽しみになってきました。
実は、このときに教わったのが
「良い息を出すための姿勢を整えること」
を重視した練習方法だったんです。
練習の質が変わったことで
「良い状態の自分」を
いつでも再現する方法を知って
その精度を上げることができたので
練習時間が減っても衰えないし
楽しみながら
フルートと向き合えるようになりました。
フルタイムの仕事とフルートの上達を両立するには
どうしたらいいのか?
何が必要なのか?
自分自身の経験を以って
ようやく、会得することができたのです。

【退職・結婚を経て、教室を開講】
そして、かねてからお付き合いをしていた方と
2018年に結婚。
約3年勤めた会社は退職することになりました。
「働きながらでも上達を諦めたくない。」
「生涯の相棒として、フルートと歩んでいきたい。」
わたしがそうだったから。
会社員として働いたこの経験を生かして、
そんな願いを持つ女性たちの役に立てたら…
たくさん、たくさん失敗と挫折を繰り返してきたわたしだからこそ、
伝えられることがある。
そんな思いから、
移り住んだ東海市でフルート教室を開講しました。
それからは、たくさんの熱心な生徒さんたちと
フルートを奏でることの楽しさを味わい、
上達することを通して
自分を高め成長できたことを、一緒に喜んできました。
お一人お一人、ご家庭とお仕事を両立しながら、
好きなことにチャレンジし、吸収したいという姿勢から
わたし自身も、日々たくさんのことを学んでいます。
わたしの人生も紆余曲折ありましたが、
多くの人が生きる目的や好きなことを見出せない中で、
やっぱり、これが好き!これがやりたい!というものに出会え、
続け、伝えられること。
それが本当に幸せなことなんだということを、
毎日、あらためて実感しています。
好きなものは好き!
やりたいものはやりたい!
もう立派な大人だけれど、
そんな想いを突き通しても良いのではないでしょうか?
泣いたり、頑張ろうと思ったり、
心があったかくなったり、癒されたり。
つらい時も、うれしいときも。
言葉にできない感情を息に託して
フルートを奏でたとき、
いろいろな感情を代弁してくれているような。
そんな感動を、
これまで生きてきたなかで、何度も何度も味わってきました。
どれだけ時が経っても、美しいと思える。
思うようにいかないけれど、可能性を感じ続けられる。
そんな人生の相棒に出会えたことを
苦しい過去もあったからこそ、
今、わたしはとても幸せに思っています。
そんな、わたしにとって大切なフルートの
楽しさや、美しさ、素晴らしさを
あなたにもぜひ、感じていただきたいのです。
感情を息にのせてフルートを奏でる喜びを、
一緒に味わいましょう。
自分で演奏することで、心が満たされていく。
そんな充実感をあなたも体験してください。
レッスンでお会いできますことを
楽しみにしています。
長くなりましたが、最後までお読みいただき
本当にありがとうございました。
フルート教室LAPIN.
亀嶋有紗

<経歴>
・同志社女子大学学芸学部音楽学科卒業
・愛知県立芸術大学大学院博士前期課程修了
これまでにフルートを、安田佐和子、細江誠、小久見豊子、村田四郎、花尾律子の各氏に師事。
演奏法を大熊径、大熊潔の各氏に師事。
第21回京都フランス音楽アカデミーにおいて
ピエール=イヴ・アルトー氏のマスタークラス修了。
2014年より約1年間、木管五重奏団ル・マルシェのメンバーとして活動。
公開オーディション合格者による第11回岐阜市新進演奏家コンサートをはじめ、
ソロ、室内楽のコンサートに多数出演。
オーケストラ、吹奏楽のエキストラ出演多数。
中学・高校での吹奏楽の経験、オーケストラ、室内楽の現場経験で培った高いアンサンブル能力が強みです。
<審査員歴>
・岐阜県アンサンブルコンテスト西濃地区大会
・岐阜県ソロコンテスト予選
など。
<その他>
A型。いて座。
道の駅と日帰り温泉が大好き。
飼っている猫ちゃん、ワンちゃんたちが生きがいです。
苦手なことは千切りです🔪🥕
趣味はアーティフィシャルフラワーアレンジ。2年継続して修了証をいただきました✨
教室には四季折々たくさんのお花を飾っています。ぜひレッスン時にお楽しみください♪